日々の日

主にプラモデルの制作録

祝発症6年目突入

どうもママ喪です。今日は通院日でした。というわけで久々ですが病院日記のお時間です。さてさて、表題にある通り、2009年(平成21年)3月に病気になって、今月で6年目を迎えました。その間2011年(平成23年)に半年間(1月〜6月)の入院を経験しています。今日は、外来、入院そして今までを振り返りたいと思います。
ちょうど日本が大きく揺れた日、私は病室で横になっていました。計画停電も精神病院は除外の除外で、一般家庭と同じく停電。4時頃に夕食を食べた記憶があります。入院したのは症状がピークに近づいていいてちょうどマックスの時。そもそも外来で通院していたのですが、不安感が高まるばかりで症状は良くならず。当時はネットで自分の病気を調べると「人格荒廃」「欠陥状態」などという、患者の尊厳を無視し回復への希望を奪い取るような言葉が、「統合失調症の基礎知識」的なサイトにごくごく普通に載っていて、「人生終わった」と絶望の縁に追いやられたものでした。そんなこんなで、精神的にもまいり、首でもくくろうかと思ったときに、「ちょっと休もうか」との医師の話で入院することになったのですが、入院中も百科事典をひっくり返したように、次々と言葉が湧き出てきて収拾がつかず、本も読めず、テレビも見れず、新聞雑誌も読めずに、アナログ時計の分針が何分を意味しているのかわからず、院内で卓球をやらされても審判はできないのは言うまでもなく、果ては、ジャンケンをしても、私が勝ったのか、相手が勝ったのかわからず、入院中の半年間は状況が好転せずに頭がダメージを受け続けていました。結局お金が底をつき、実家に引き取られたわけですが、そこから症状は収まっていきました。退院してからようやく、病気から自分自身の方へと人生の主導権を引き寄せる、つまりは回復、正確を期すならば再構築が始まりました。それから3年と9ヶ月が経ち、幸運にも今は、ほとんど症状はありません。実は、来月4月からは作業所に正式に通うことになり、ちょうど今日はポカポカ陽気の中を役所に受給者証を作りにいって来ました。
今の私の課題を挙げるなら、後遺症を回復させることですかね。雑誌を読もうと意識を集中させようにも首から頭にかけてジーンと痺れるような感じがあり情報が入ってこず。服の整理でも手の動きの処理速度に、頭の認識能力が追いつかず、頭がまごついて、これまた痺れるような不快感があります。でも後遺症は残っているけれども、私は本当にラッキーボーイだと思っています。時計が読めない男がプラモデルを作れるまでに回復しましたし。それに何より私には夢があります。夢を口に出すと叶わなくなるとのことなのでここで披瀝することは避けますが、取り組んでいる間は夢中になれますし、確かな手応えをもたらしてくれます。
私は、元の自分に戻るという意味での回復は、断念しています。たとえ、病気が過ぎ去っても、頭には過去の痕跡が残るでしょう。でもそれはしょうがないことです。私の場合、ある程度のエッヂのだるさみたいなものは残るでしょう。全ての人には当てはまらないとは思いますが、転居しても大阪人には大阪人らしさが、関東者には関頭者っぽさが残る様に、統合失調症人!?には普通の人っぽくなっても、統合失調症人!?ぽさは残るでしょう。それでも構わないと私は思っています。繰り返しになりますが私は希望を持っています。それが果たされるなら、統合失調症人でもなんでも構わない、今はそんな気持ちでいます。
診察はいつも通り2分ぐらいで終了でした。

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