日々の日

イラスト×プラモデル

人生設計とやらを考える

どうも、圭介です。本日は2週に一回の通院日でした。ということで病院日記のお時間です。
今日は病院だけではなく、障害当事者の集まりもあったので、ちょっと遅くの夕食をとって、今キーボードを叩いています。一応、このブログにアクセスしてくださっている方がポツリポツリといらしゃるようで、そのことには感謝しています(誰もみていなくても書き続けらるほどの精神力は、私は持ちえていません)。ただ、読み返してみると、サイバースペースのクズとまではいかないですが、どうしようもない、恥ずかしい代物が多いですね。最近の記事はいちいち長いですし、自分で読み返しても「こいつは、何を言いいたいのか」感が強いです。一人ひとりに与えられた貴重な時間を、私の駄文で消費させてしまうこと、その点は申し訳ないと思っています。
と、内幕を明かしたところで、ここから本日の表題「人生設計とやらを考える」につながっていきます。
今まで、このブログでは、なるべくなら、有益な情報を、読んだ方に持ち帰っていただきたい、そう思って記事を書いてきました。ただ最近、<無益>と<有益>の二項対立で物事をとらえること自体が、まさに無益だな思うことがよくあります。無益だったと思っていたことが、のちに繋がり、活かされることが有り、また、望むか望まざるかはさておき、窮地をしのぐために活かさざるを得ないこともあります。そしてそれが結果的に有益なことに変化していくこともありうるでしょう。
これは、私の病気になったという個人的な経験に依拠しているところが多いですが、有益、無益の判断は、人間の想像力の彼岸にあるものであり、無意味であるように思います。「将来役に立つこと」はおそらく、「将来役に立つだろうこと」であって、それが幸せに繋がるかというと、必ずしもそうではないでしょう。無論、重い病気になるとか、無実の罪で刑務所とかに入れられること、そのような、絶対的な不遇は存在しますし、そのためのリスクヘッジは必要だとは思いますが。
「何歳までに、結婚して、家を買って、そのころには、どんな役職について…」というような人生の工程表を作り、それをなぞっていくようなことは私には物理的にできないし、それほど、魅力を感じてはいません。公務員でもないですし、いまからなれるわけでもないですし。
どうやら、今後、私は、多くの人が歩いたわだちをなぞるのではく、雑草の原野の中を電燈を持ちながら進むことになりそうです。道は険しいですが、ただ、珍しい景色が見られるかもしれませんし、おいしそうな木の実が落ちているかもしれません。人生そんなに甘くないとはいいますが。
なんか今日はいつにも増して意味不明な文章ですね。診察はいつも通り一分半で瞬殺で終了でした。