日々の日

イラスト×プラモデル

不安の波とどう付き合うか

どうも、圭介です。本来なら精神科の診察日である一昨日に更新すべきところでしたが、今日にずれ込んでしまいました。スミマセン。
すこし前から調子を崩してしまい、昨日、一昨日はマックスまでテンパッていて、日記を書く心的余裕がなく、今晩になってようやく精神的に落ち着いてきてこうして記事を書いています。
私は時々、原因不明の理由ですこし調子を崩すことが有るのですが、今回は原因は明確で崩れ方もダイナミックでした。
事の結論から言うと、アホな話しなのですが「自分が膵がんに罹ったのでは」と勝手に自己診断し、決めつけ、その思いにとらわれ、恐怖心を抱き、それがストレスとなり精神面のバランスを崩したというしだいです。
発端は、10日ほど前。原付で移動中どうも背中に重苦しい痛みを感じたのと、ちょうど食欲不振が重なり、気になって家に帰り体重をはかってみると、一ヶ月くらい前から3キロ落ちていて、かつ便も下痢とまではいかないが、脆く水に浮くような脂肪便が続いていてどうも消化器系の調子がよろしくないのである。
心配になって、ネットで調べてみると、どうも膵がんの症状にドンピシャで当てはまる。しかも膵がんは予後が極めて悪く、5年生存率は5%しかないとのこと。
普通の人であれば、背中の痛みも、筋肉痛かな〜と、食欲不振も夏バテかな〜と思うだろうし、便に対しても私の様に神経質にならないと思うのですが、私は幼い頃から、少しの身体の異状を過剰に拡大解釈して重い病気と結びつけて、ちょっとしたパニック状態になってしまうことがあり(←専門用語で言うところの心気症)、例えば、小学生の頃は、夜眠れなければどうしようと、不眠を怖がったり、頭が痛いだけで脳腫瘍なのではないかと騒ぎだしたりしていたのである。年齢を重ねるにつれそのような症状の振幅の振れ幅というか大きさは収まってきてはいるのですが、今でも軽くそのような状態になることが時々有るのである。
一昨日の精神科の診察時に、主治医にそのことを話すと、「いや〜、それは心配性だよー」、と苦笑い。私も、脳ではそのことを分かっているし、実際、膵がんを20代から30代で発病することは稀だということはwebの記事(pdf)から理解しているのだが、心の方が言うことを聞いてくれず、「自分がその稀な方に入っているのではないか」という疑念というか、もはや妄想レベルといっても言いような確信が常に胸の奥底から涌き出してくるのである。
このような、小さなことで怯えてビクビクする心的態度は、なによりカッコわるいし、私の理想とする生き様、あるいは美学に真っ向から反します。たとえ死を目前にしても、スティーブ・ジョブズのように、昔からの仲間や友人と寿司屋で語りあい最後を迎えるような生き様を貫きたいと思っています。私は、そんなレベルからは程遠いですが。
現在でも、症状は続いていますが、なんとか耐えるつもりでいます。もしひどくなるようだったら病院に行きますが。希望としては、なんとか耐えて、不安の嵐の過ぎ去るのを待ちたい。いちいち病院に行っていたら医療費もバカにならない。もっとタフな精神力を持ちたいと思う。
では、そのためにどうすればよいのか?策はいまいち判然としません。ただ過度な自己愛が絡んでいるのではないかという感触はある。私は、少し前に流行った言葉でいうならば草食系男子であって、愛情とか恋とかには興味有りません。では、何を糧に生きているのか、そのはんでいる草はいったい何なのかと問われれば、それはずばり自己愛な気がします。誰か自分より大切な人ができれば緩和されるのかもしれません。そうすれば、その人に注意が向けられ、自分自身に対する心配事の比重は低下するのではないかと。
診察は、上記の話をした以外はいつも通りでした。精神面の症状はちょっと悪化しましたが、現状、一か月くらいで元に戻る程度です。なのでご心配なく。なんか今日の日記は、自分で読み返してみても支離滅裂ぎみですね。失礼。