日々の日

主にプラモデルの制作録

それでも世界は廻っていた

 どうも、ママ喪です。本日は2週に一度の通院日でした。ということで病院日記のお時間です。タイトルは、石黒正数先生のマンガ、『それでも町は廻っている』からパクらせて頂きました(ちなみに、まだ読んでない方、おもしろいマンガなのでオススメですよ)。診察はいつもと同じだったので省略して、いきなり本題に入りますかね。本日言いたいことはなにかというと、病気になって4年と2ヶ月、社会とのか細い接点を持った今、かつて私の周囲にいた人はずいぶん成長したり変化したりしているなぁと今更ながら実感したこと、そして我が身を振り返ってどう人生戦略を立てていくか考えさせられたということです。前回の記事で触れましたが、病気になる以前、私は障害福祉系の仕事をしていて、最近は体調が回復してきたのもあり、週1回の発達障害知的障害をもった方、その支援者・ヘルパーの極めてゆるい集まりに参加していて、先週、今週も行ってきました。いろいろ話を聞いていると、いつの間にか新たにスタッフとして参加した人もいれば、去っていった元同僚もいたり、グループホームができていたり、結婚された人もいたりと、いろいろな場面で進展があり、密度の濃い時間が流れていて、この間停滞していた私にとっては、語彙が少なく恥ずかしいのですが使い古された言葉で言えば、まさに浦島太郎状態でした。自分だけ前進してないと言うか。
 さらに、2008年に登録して放置していたfacebookを久しぶりに覗いてみると、こちらでも進展が。中学時代からの友人や知り合い、大学の同期は、それぞれのフィールドで活躍していて、さらには結婚&出産ラッシュ。家やマンションを買った人もちらほらいて、今年三十路になる私としては「世間じゃ30歳ってもうそんな年齢だわな」とちょっと感慨にふけってしまいました。大学の同期と比較すると、2周、3周遅れくらいなので、もはや差を埋めることはできないですし、その点は諦念の域に達していて(昔の私だったら受け入れることはできなかったとは思いますが)、そういう意味で焦りは感じていないのですが、ただそれでも、「人生を取り戻していきたい」という気持ちが一方では有ったりもして、完全に復活できなくてもそこそこでいいから人生を楽しみたいという思いも強いのである。
 そして、話しは少し飛びますが、最近、その思いを現実のものとするために無職を脱し、家を出ようという気持ちが湧き出てきました。いくつか理由はあるのですが、ひとつには、親が過保護で、実家にいたら生活を拡げることができないし、自分の望む生活もできないこと、あと、実家が絶望的に交通不便なところにあって、友人とかを招くことが困難なこと(ただ、友人とかを呼べるのはもう少し回復してからになるとは思いますが)、それと、一人暮らしすること自体がリハビリになり、本格的な社会復帰に近づくこと、これくらいですね。10月の末日までには障害年金の6万弱とチラシの配布(ポスティング)のバイトの3〜5万円でささやかながら一人暮らしを始めようと目論んでいます。ハロウィンの日が誕生日なので、その日を区切りに。
 さてさて、以下は例のごとくここ二週間の歩数といきたいところですが、右足の甲が未だに痛く、湿布を貼っても改善せず、歩行時の痛みも増していて、これ以上歩いて刺激を与えるとヤバそうなので痛みが引くまで養生することしました。ということで今回は記録はありません。医療費がもったいないのもあり、整形外科には行っていないので、痛みがどれくらい続くものなのか分かりませんが、回復次第また記録をつけようと思っています。