日々の日

イラスト×プラモデル

心の声に従うことの大切さ

 どうもママ喪です。本日は2週に1回の通院日でした。ということで病院日記のお時間です。なんか表題は自己啓発本にありそうなタイトルですね。
 前回の記事でも触れましたが、ここのところ体調があまりすぐれず、それを今でも引きずっていて、今日の診察でもそのことを話しました。結果、現在でも最高容量の抗精神病薬が2種類処方されているのと、入院時ほど症状が強く出ていないので、しばらく様子見することになりました。
 このような事態にいたった要因を自分なりに考えたのですが、季節の変わり目というということもあるかもしれませんが、普段あまり人と交流していないことと、社会のなかに自分の居場所がないことにあるのではないかという結論にいたりました。私は別に引きこもっているわけではなく、毎日、駅前の図書館、喫茶店やファーストフード店に行っては、客の会話に耳をそばたてたり、行き帰りの道では同年代や少し上の年齢の人たちの配信しているポッドキャストを聴いたりしてはいるのですが、それは交流ではなく、どれも一方通行のものでしかありませんね。もともと、私はあまり人付き合いが好きではなく、独りでいてもそれほど苦痛は感じない人間で、高校時代の友人は0人でしたし、退院後に通っていた精神科のデイケアも楽しみを感じられず2ヶ月で辞めましたし、このブログにコメント欄がないのもコメントを返すのがめんどくさいというのもありますが、基本的にあまり他者と関係を持つことに興味がないという理由もあります。しかしながら最近は、人との繋がりを大切にしたいとの気持ちが、心の奥底でチクチク芽生え始めたのを感じるようになりました。けれども、そのようなチクチクを自分のアイデンティティに反するとして黙殺し抑圧してきました。今は、そのような虚勢を解除しなければならないと考えています。
 ただ、人付き合いをするといっても、デイケアのように毎週3、4日顔を合わせるのは苦痛だし、プログラムが組まれていない、もっとゆるい、大学のサークルの部室のような場に参加できれば良いなと思っています。自分の人間的な成熟、発達や成長、回復の喜びをシェアしあえる友人ができれば申し分ないのですが、私はまだ頭の回転が鈍く、当意即妙、臨機応変な会話のキャッチボールができないので、健常者同士の集まり参加するのには、もう少し回復するのを待たなければならないように思います。 デイケアのように一日ではなく、ショートケアでの参加にするのも一案だし、私は大学時代、発達障害を持った方の地域での生活支援を行っていたNPOで働いていたのですが、そこの協力団体(主に事業所間のコーディネートをしていた法人)が一週間に1回、事務所を開放し、支援者や当事者が入り乱れて、おのおの好きなことをする日があるのですが、それに参加するのも一考かなと考えています。
 あ、あとそれと、今日の診察で、障害年金の受給をお願いしました。医師からは、間髪いれずに、「んじゃ、手続きとかワーカーさんに相談して」との答え。私は、福祉系を専攻していたので、申請に抵抗はなかったし、もちろん、障害年金を受けれることは望んでいたことなのですが、「うーむ、君ぐらいの回復具合だと申請は通らないかもね」という言葉を少し望んでいた乙女心チックな気持ちは見事に粉砕されました。ワーカーさん(たぶん精神保健福祉士の資格を持った方かな?)は、手慣れた様子で説明してくださいました。ただ、私は初めて精神科にかかったのは、15歳で、その時はパニック障害で通院していたのですが、その時の資料も必要になるということで、すこし手間がかかりそうです。
 以下は例によって歩数。
4/18 18226
4/19 4071
4/20 -
4/21 7933
4/22 18960
4/23 14964
4/24 9864
4/25 20890
4/26 8396
4/27 4682
4/28 17876
4/29 6673
4/30 10982
5/01 9610